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第1集 世界文化遺産 古代都市遺跡 「ポンペイ遺跡」散策(3)
  

ポンペイ遺跡、「ジュピター神殿」を望む。後方は噴火した「ヴェスヴィオ山」です
  

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   「ポンペイ遺跡」散策


          < 内 容 >

 1.ポンペイ遺跡 「街路・車止め」にて 
 2.ポンペイ遺跡 「フォロ(公共の広場)」にて(1) 

 3.ポンペイ遺跡 「フォロ(公共の広場)」にて(2) 
 4.ポンペイ遺跡 「ジュピター神殿」にて
 5.ポンペイ遺跡 「バジリカ」にて 
 6.ポンペイ遺跡 「アポロ神殿」にて 
 7.ポンペイ遺跡「ヴィーナス神殿」にて 
 8.世界文化遺産登録 「ポンペイ遺跡」の概要 







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  1.ポンペイ遺跡 「街路・車止め」にて



1-1 ポンペイ遺跡、アボンダンツァ通りをフォロに向かっているところです



1-2 ポンペイ遺跡、「街路」にて





1-3a ポンペイ遺跡、「公共水道」を望む

1-3b ポンペイ遺跡、「公共水道」のアップです

< 「ポンペイ遺跡」について > 

   ポンペイ遺跡が発掘されたことで、当時のポンペイが、整然とした計画都市であったことがわかります。道路には馬車の轍が設けられ、排水機能も備えていました。横断歩道まで備わっていたのです。
また、多くの壁画が見つかっています。風景や風俗、神話、男女の営みなど、ジャンルは多岐に渡っています。これらが当時の文化を理解する資料となりましたが、その他にも、火砕流に飲み込まれる直前までの生活の様子がそのまま残されており、貴重な遺物となっています。
                                       (世界遺産オンラインガイドより)




1-4 アボンダンツァ通りにて、石畳の一つに男根の模様です。
男根は「ルパナーレ(娼婦の館)」の方向を指しています




1-5 アボンダンツァ通りにて、高級住宅のタイルのモザイク画です



1-6 アボンダンツァ通りにて、石畳の道路です。左(塀)はエウマキア館です。
馬車は中央の車道を走り、車道の左右は歩道なっています。雨で濡れないように、歩道が高くなっています。




1-7 フォロ側より、アボンダンツァ通りを望む。車止めの石です。
馬車がフォロ(公共の広場)に入れないようにしています
 





  No.2 
  2.ポンペイ遺跡 「フォロ(公共の広場)」にて(1)



2-1 ポンペイ遺跡、「フォロ(公共の広場)」にて



2-2 ポンペイ遺跡「フォロ(公共の広場)」にて、右側(西側)に2階建ての列柱が見えます



2-3 ポンペイ遺跡「フォロ」にて



2-4 フォロにて、イーゴリ・ミトラジ作のケンタウロス像(現代彫刻)です。
ケンタウルスとはギリシア神話に登場する半人半獣の種族の名前です



2-5 フォロにて、イーゴリ・ミトラジ作のケンタウロス像(現代彫刻)です。
残念ながら古代遺跡ではありません



2-6 フォロにて、「フォロの現地説明板」です



2-7 フォロにて
  No.3
  3.ポンペイ遺跡 「フォロ(公共の広場)」にて(2)



3-1 ポンペイ遺跡フォロにて、正面は「エウマキア館」です



3-2 ポンペイ遺跡フォロにて、東列柱を望む。左側が「エウマキア館」入口になります



3-3 フォロにて、東列柱を望む。後方は「エウマキア館」の入口です。
女性神官エウマキア(毛織物業で財を成した女性)が寄進した建物とのことです。




3-4 フォロにて、「2階建ての列柱(西列柱)」を望む



3-5 フォロにて、ジュピター神殿手前、西側にある列柱です



3-6 西側からのフォロ入口(マリーナ通り)を望む。右側は、アポロ神殿になります
   





  No.4
  4.ポンペイ遺跡 「ジュピター神殿」にて



4-1 ポンペイ遺跡、フォロを望む。左後方はジュピター神殿です



4-2 ポンペイ遺跡、ジュピター神殿を望む。ポンペイで最も重要な神殿だったとのことです。
主神ユピテル(ジュピター)を含む、ジュノー(ユピテルの妻)、ミネルバ(知恵と武勇の神)の三神が祀られています。




4-3 ジュピター神殿を望む。フォロの北側にあり、その後ろには噴火したヴェスヴィオ山が見えます





4-4a ジュピター神殿を望む

4-4b ネロの凱旋門(名誉あるアーチ)を望む



4-5 ネロの凱旋門(名誉あるアーチ)を望む。西暦30年頃の物とのことです



4-6 ジュピター神殿を望む



4-7 ジュピター神殿にて
 、
 No.5
  5.ポンペイ遺跡 「バジリカ」にて



5-1 フォロより、「バジリカ」を望む。右側はアポロ神殿になります



5-2 フォロより、「バジリカ」を望む



5-3 ポンペイ遺跡、「バジリカ」を望む。
バジリカは裁判など多目的な公共施設として使われたていた所とのことです。



5-4 ポンペイ遺跡、「バジリカ」を望む



5-5 「バジリカ」のアップです
 





 No.6
  6.ポンペイ遺跡 「アポロ神殿」にて 



6-1 ポンペイ遺跡、マリーナ通りより「アポロ神殿」を望む



6-2 ポンペイ遺跡、「アポロ神殿」を望む。後方の山はヴェスヴィオ山です



6-3 ポンペイ遺跡、アポロ神殿」にて、イオニア式柱廊は良好な状態で遺されています。
柱廊には周囲48本あるとのことです。



6-4 「アポロ神殿」の現地説明板です
     【 後  記 】

 ポンペイは紀元前89年にローマ帝国の植民都市となり、その後、城壁、神殿、円形劇場等ローマの文化が取り入れられました。またローマ人富裕者の保養地として豪華な別荘もでき,華麗な壁画・彫刻・モザイクで飾られ、水道、舗装路、商店も整えられ人口は2万人近くに達したとのことです。
 西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火により、この都市がそのままの状態で火山灰に覆われて、1738年発掘されるまでそのままの状態を保ち続けていました。
 現在のローマは、近代化が進みローマ帝国時代の都市は近代都市の下に埋もれていっています。これとは対照的に、ポンペイは古代ローマの都市そのままの姿を留めています。ポンペイの住民にとっては悲劇以外の何物でもなかったのでしょうが、こうした景観を今に遺せたのは奇跡と言うほかありません。

 どこまでも続く綺麗に整備(設計)された石畳の道路、両脇に続く建物群、何か物凄過ぎてこの街の生きた姿、どういう生活があったのか映画のシーンを思い出そうとしましたが想像できませんでした。しかしポンペイ遺跡の見学ができたことは、自分の夢の一つがかない本当に良かったと思いました。
      
(2024.10.30)





6-5 ポンペイ遺跡、「アポロ神殿」を望む。
アポロ神殿は紀元前6世紀創建のポンペイで最も古い建物といわれています。



6-6 ポンペイ遺跡、「アポロ神殿」を望む。後方にヴェスヴィオ山が綺麗に見えます。
中央の白い台座は神に生贄を捧げるための台だったそうです。
 、
 No.7 
  7.ポンペイ遺跡 「ヴィーナス神殿」にて



7-1 ポンペイ遺跡、マリーナ通りを望む。左側に「ビーナス神殿」があります



7-2 ポンペイ遺跡、マリーナ通りより「ビーナス神殿」跡を望む



7-3 「ビーナス神殿」跡にて



7-4 「ビーナス神殿」の現地説明板です



7-5 「ビーナス神殿」跡を望む




7-6 ポンペイ遺跡、「ビーナス神殿」跡を望む



7-7 ポンペイ遺跡にて、イゴール・ミトライ作のダイダロス像(ブロンズ像)、現代彫刻の作品です。
ダイダロスはギリシア神話に登場する有名な大工、工匠、職人、発明家です。



7-8 マリーナ インフェリオーレ広場より、ポンペイ遺跡を望む









 No.8
 8.世界文化遺産登録 「ポンペイ遺跡」の概要
 ポンペイ遺跡
 (世界文化遺産登録)
 「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」として1997年に登録

 イタリア南部のカンパニア州
 Via Villa dei Misteri, 2, 80045 Pompei NA
 (撮影 2024.05.24)
 (作成 2024.10.30)

 ポンペイ(Pompei)は、イタリア・ナポリ近郊、ヴェスヴィオ山のふもとにあった古代都市です。西暦79年のヴェスヴィオ噴火で発生した火砕流によって地中に埋もれたことで知られています。その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されています。

 西暦79年8月24日ヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けました。翌8月25日の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まりました。降灰はその後も続き、地震の前には2万人程度いたポンペイ市民の内、何らかの理由で街に留まった者の中から逃げ遅れた約2千人が犠牲になったとのことです。

       
(ウィキペディアより)

(Size : 106,608KB) ポンペイ遺跡、小劇場(Teatro Piccolo)を望む ポンペイ遺跡、舗装道路を望む

google地図より(■カーソルセットで地図写真表示)
クリックでGoogle Mapが表示されます



GoogleMapより、アルベロベッロ付近の写真です。地区名を加筆しています
クリックでGoogle Mapが表示されます








<イタリヤの世界遺産について>
世界文化遺産
「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ
・アヌンツィアータの遺跡地域」
(1997年に登録)

 1997年世界遺産に登録された「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」は、イタリア南部ナポリ近郊にあった古代都市ポンペイやヘルクラネウムの都市遺跡やヴィラ、トッレ・アンヌンツィアータのヴィラなどから構成されています。
 (※ヴィラは古代ローマを起源とする、上流階級が田舎に建てた家のことです)

1.ポンペイ
  ポンペイはイタリアのナポリ近郊にあった古代都市で、紀元前89年よりローマの自治都市となっていました。海に面した商業都市で、アッピア街道に物資を運ぶ拠点として栄え、最盛期には約2万人もの人々が暮らしていたそうです。噴火前のヴェスヴィオ火山の斜面を利用して葡萄栽培を行い、ワインの醸造も盛んでした。
 しかし、1世紀になると地震が頻発し、79年にはヴェスヴィオ火山が大噴火を起こします。時速100㎞を超える大火砕流は一瞬にして街を飲み込み、2000人の人々が犠牲になりました。この中には、「博物誌」を記した学者大プリニウスも含まれていたのです。ポンペイの街は、こうして5mの火山灰に埋もれてしまいました。

2.ヘルクラネウム

3.トッレ・アンヌンツィアータのヴィラ

                             (世界遺産オンラインガイドより)







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