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     ( 日本 1 法隆寺地域の仏教建造物 )
  
  
    
[画像]  世界文化遺産 奈良県 ”法起寺” に参拝する
  
  
  
  
  
 
 

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 1.奈良県 ”法起寺” に参拝する
 
 法起寺
 (ほうきじ)
 世界文化遺産
 「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として登録
 奈良県 生駒郡斑鳩町
 (撮影 2015.05.01)
 法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院です。古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれていました。
 山号は「岡本山」(ただし、奈良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものとのことです)。本尊は十一面観音。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもありますが、寺の完成は太子が没して数十年後のこととのことです。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されています。
            (ウィキペディアより)   
(Size : 3,580KB) 法起寺、境内を望む 法起寺、国宝三重塔を望む


 
 2.”法起寺” を散策する (1)
 
【法起寺の名称(寺号)について】
 寺名は20世紀末頃までの文献では「ほっきじ」と読んでいましたが、現在、寺側では「ほうきじ」を正式の読みとしています。これは、法起寺が法隆寺とともに世界遺産に登録されるにあたり、「法」の読み方に一貫性が欲しい、という理由により、高田良信法隆寺管長により、「ほうきじ」を正式とする、という判断がされたためです。長年の親しみもあり、今でも「ほっきじ」と読む人は多いとのことです。     (ウィキペディアより)
 
■ 一般道より、法起寺の三重塔を望む ■
世界文化遺産、法起寺に参拝する
■ 法起寺入口より、境内を望む。正面奥が国宝三重塔です ■
 


 
 3.法起寺 ”講堂”を望む
 
法起寺、講堂を望む。左が聖天堂、右が三重塔になります
法起寺、”講堂”を望む
”講堂”の案内板です ”講堂”の入口を望む
泉法起寺、境内を望む。手前は”聖天堂”、奥は”講堂”です


 4.法起寺 ”日本最古の三重塔(国宝)” を望む
 
■ 国宝三重塔を望む(1) ■
■ 国宝三重塔を望む(2) ■
国宝三重塔の案内板です     
      
法起寺、聖天堂横より三重塔を望む
【法起寺 三重塔について】

 法起寺の三重塔の建立時期は706年頃の完成とみなされています。高さ24メートルで、三重塔としては日本最古とのことです。また、特異な形式の三重塔である薬師寺東塔を除けば、日本最大の三重塔と言われています。日本の木造塔は方三間(正側面のいずれにも柱が4本並び、柱間の数が3つになるという意味)が原則ですが、この塔は初層・二層の柱間が3間、三層の柱間が2間という特殊な形式になっています。ほぼ同時代の法隆寺五重塔も最上部の五層の柱間を2間としており、法隆寺五重塔の初層・三層・五層の大きさが法起寺三重塔の初層・二層・三層にほぼ等しいことが指摘されています。心礎は、法隆寺五重塔や中宮寺塔跡の心礎が地中深く据えられているのに対し、法起寺では基壇の版築の途上で据えられており、これは法隆寺塔などより時代が新しいことを意味しています。

 三重塔は江戸時代の延宝年間(1673年 - 1681年)の修理で大きく改造され、この時、三重の柱間も2間から3間に変更されていましたが、1970年〜1975年の解体修理の際、部材に残る痕跡を元に、創建当時の形に復元されています。二重と三重の高欄(手すり)も解体修理時の復元となっています。       
(ウィキペディアより)
 


 5.法起寺 ”聖天堂”を望む
 
【法起寺の創建について (1/2)】
 世界遺産・法隆寺が所在する斑鳩(いかるが)の里には、法起寺のほか、法輪寺、中宮寺など、創建年代が7世紀にさかのぼる古代寺院が存在し、この地が早くから仏教文化の栄えた地であったことがわかります。法起寺は法隆寺東院の北東方の山裾の岡本地区に位置します。この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、太子の遺言により子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりと伝えられています。   (ウィキペディア より)    (つづく)
 
”聖天堂”を望む





   
法起寺、”聖天堂”の案内板を望む ”聖天堂”にて





法起寺にて (◆カーソルセットで法起寺境内のマップが表示されます)
法起寺の入口を境内より望む
 
 


 6.世界文化遺産 ”法起寺” 案内
 
【法起寺の創建について (2/2)】
 法起寺は、天平19年(747年)の『法隆寺縁起』には「聖徳太子建立七寺」の一として「池後尼寺」が挙げられています。この池後尼寺が法起寺と同一寺院であることを示す最古の資料は宝亀2年(771年)の『七代記』(四天王寺の僧教明の撰)で、そこには「法起寺、時の人喚(よ)びて池後寺とす」(原文漢文)とあります。一方、この寺には「岡本寺」という呼び名もあり、天平勝宝2年(750年)の「造東大寺司牒案」(正倉院文書)に「岡本寺」とあるのがもっとも早い例である。9世紀成立の仏教説話集『日本霊異記』(『日本現報善悪霊異記』)には「大和国平群郡鵤村岡本尼寺」の観音像にまつわる霊験譚を載せるが、そこには岡本尼寺は聖徳太子の住んだ宮を寺に改めたものだとある。このことから、岡本寺が鵤村(いかるがむら)にあったこと、「聖徳太子の宮を寺に改めた」という創建縁起が9世紀の時点で流布していたことがわかります。            (ウィキペディア より)

 
法起寺にて、池を望む
法隆寺から法起寺へ歩きました。その時に案内版を見つけました
法隆寺から法起寺へ歩きました。その時に見つけましたお花畑です
  
国宝三重塔を望む(1) 国宝三重塔を望む(2) 法起寺にて 国宝三重塔を望む(3)
  
  
Google Mapより(■カーソルセットで写真表示) Google Mapより(■カーソルセットで写真表示) Google Mapより(■カーソルセットで写真表示)
  
 
 
( 後   記 )
 法起寺については、世界文化遺産に登録されていることもさることながら、やはり『日本で最古の三重塔』があることが魅力のお寺と思いました。現在の境内はそれほどの広さは無いが、その中で毅然と立っている姿は誠に見事でした。バランスのとれた美しさを持っていました。

 寺院は素朴で三重塔をお守りしているような感じを受けました。 
(2016/4/26)
 
 
法起寺、日本最古の三重塔を望む(1)
 
法起寺、池の周りで見つけました
 
法起寺、日本最古の三重塔を望む(2)


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