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   ( 寺院・神社の参拝 (東 京) )
  
  
    
[画像] 東京(江戸)の寺院・神社に参拝する(2)
  

  
  
  
  
 
 
  


  <日本の寺院・神社>   東北   北関東   東京1   南関東   甲信越   北陸   東海   近畿   中国   四国   九州





 1.東京都江東区亀戸 ”亀戸天神” に参拝する
 
     
 亀戸天神社
 (かめいどてんじんしゃ)
 神社・寺院
 東京都 江東区
 (撮影 2015.03.15)
 亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社(天満宮)です。菅原道真を祀り、学問の神として親しまれています。特に1・2月の受験シーズンの土曜・日曜には、道真の加護を求めて絵馬を奉納する受験生で境内が溢れます。通称は亀戸天神、亀戸天満宮または東宰府天満宮といわれています。

 亀戸天神社の始まりは、正保年間(1644年 - 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐が、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡りました。そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされています。
   (ウィキペディアより)


(Size :    KB) 亀戸天神、太鼓橋(女橋)より拝殿を望む 明治神宮、”拝殿”望む




亀戸天神、”拝殿”を望む



亀戸天神、入口より”大鳥居”を望む



亀戸天神には沢山の絵馬が掛けられています



亀戸天神、”手水所”のカメです。愛きょうがあります



亀戸天神にて






 2.東京都目黒区目黒 ”目黒不動尊(瀧泉寺)” に参拝する
 
     
     
 目黒不動尊 瀧泉寺
 (めぐろふどうそん りゅうせんじ)
 神社・寺院
 東京都 目黒区下目黒
 (撮影 2015.04.04)
 目黒不動尊瀧泉寺(りゅうせんじ)は、東京都目黒区下目黒にある、天台宗の寺院です。山号は泰叡山(たいえいざん)。不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれています。
 江戸三大不動・江戸五色不動の一つです。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番となっています。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来するとする説もあります。青木昆陽の墓があることでも知られています。
   (ウィキペディアより)


(Size : 6,499KB) 目黒不動尊、仁王門より境内を望む 目黒不動尊、”大本堂”を望む




目黒不動尊(瀧泉寺)、仁王門を望む。

三間一戸の朱塗りの楼門です。昭和37年(1962年)再建の鉄筋コンクリート造でです



目黒不動尊(瀧泉寺)、”独鈷の滝”を望む



目黒不動尊(瀧泉寺)、”大本堂”を望む



目黒不動尊(瀧泉寺)、”大日如来坐像”を望む



目黒不動尊(瀧泉寺)、仁王門より境内を望む






 3.東京都港区赤坂 ”豊川稲荷 東京別院” に参拝する
 
     
     
 豊川稲荷東京別院
 (とよかわいなりとうきょうべついん)
 神社・寺院
 東京都 港区元赤坂
 (撮影 2017.04.02)
  豊川稲荷東京別院(とよかわいなりとうきょうべついん)は、東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺院です。豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の唯一の直轄別院(飛び地境内)です。

 大岡越前守忠相が豊川稲荷から?枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが由来とのことです。
 その後、文政11年(1828年)、信徒の要望により、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが、東京別院の創建とされています。江戸参詣所が設けられたことにより、一般信徒も参拝が毎日できるようになり、今までの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされています。
      (ウィキペディアより)


(Size : 6,417KB) 豊川稲荷東京別院境内にて 豊川稲荷東京別院、本殿を望む




豊川稲荷東京別院、山門より境内を望む



豊川稲荷東京別院、”本殿”を望む



豊川稲荷東京別院、”三神殿”を望む



豊川稲荷東京別院にて



豊川稲荷東京別院にて






 4.東京都千代田区 さくらの”靖国神社” に参拝する
 
     
     
 國神社
(靖国神社、やすくにじんじゃ)
 神社・寺院
 東京都 千代田区
 (撮影 2017.04.02)
 國神社(靖国神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社です。

 靖国神社(正式名称は靖國神社)は、江戸時代の幕末、長州藩(山口県)で1863年に結成された奇兵隊士の霊を弔うために、高杉晋作(1839〜1867年)が招魂社造営を発議したことに始まります。その後、68年の戊辰(ぼしん)戦争後に、官軍(薩摩、長州、土佐、肥前4藩)将校の招魂祭を江戸城(現在の皇居)で行うとともに、京都東山(現京都市東山区)では官軍の戦死者を祀(まつ)りました。

 これを機に、幕末、明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが全国的に活発になり、日本陸軍の創始者である大村益次郎(1824〜1869年)が明治天皇に東京に招魂社を創建することを献策しました。
 明治天皇は翌69年、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、戊辰戦争の戦没者3,588柱を合祀(ごうし)しました。ただし、本殿が竣工したのは3年後だった。その後1879年に、軍直轄だった東京招魂社は、「靖国神社」に改名されました。
   (nippon.comより)


(Size :    KB) 靖国神社、中門鳥居・拝殿を望む 靖国神社、”不動堂(重要文化財)”望む




目靖国神社、境内入口より”大鳥居”を望む



靖国神社、”拝殿”を望む



靖国神社、”青銅大鳥居”を望む。1887年(明治20年)の建立で、大阪砲兵工廠で鋳造された青銅製の鳥居です



靖国神社は桜の名所でもあります



靖国神社、”桜の標本木”を望む






 5.東京都日野市 ”高幡不動尊金剛寺” に参拝する
 
     
     
 高幡不動尊金剛寺
 (たかはたふどうそんこんごうじ)
 神社・寺院
 東京都 日野市
 (撮影 2017.09.29)
 金剛寺(こんごうじ)は、東京都日野市高幡にある真言宗智山派別格本山の寺院で、通称、高幡不動尊で知られています。本尊は大日如来。高幡山明王院金剛寺と号する。

 草創は古文書によれば大宝年間(701 - 704)以前とも、奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられていますが、寺伝によれば平安時代初期に円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場を高幡山山上に開いたのが始まりとされています。江戸時代、真言宗関東十一檀林の談義所として、多くの学僧を輩出しています。以来、「高幡のお不動さん」と呼ばれ人々の信仰を集めており、毎月28日の縁日には多くの参詣者で賑わっています。

 成田山新勝寺などとともに、関東三大不動の一とされています。なお、関東三大不動の他の1つは不動ヶ岡不動(總願寺)、大山不動(大山寺)あるいは高山不動(常楽院)とされています。
   (ウィキペディアより)


(Size :    KB) 高幡不動尊金剛寺、境内を望む 高幡不動尊金剛寺、”不動堂(重要文化財)”望む




高幡不動尊金剛寺、”不動堂”を望む



高幡不動尊金剛寺、五重塔を正面から望む



高幡不動尊金剛寺、重要文化財の「丈六不動三尊像」を望む。千年ぶりの修復を終えたとのことです。<br>
「不動明王像」を中心に、「せいたか童子像」(左)と、「こんがら童子像」が安置されてます。



四国八十八ケ所巡拝を模した山内の巡拝コースにて、彼岸花の鑑賞ができます。9月29日最盛期は過ぎておりましたが見事な群生です



高幡不動尊金剛寺参拝の後は、”開運そば”でしめました






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