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No.6 |
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6.明の十三両稜 定陵 「地下宮殿」にて |
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6-1 明の十三陵(定陵)にて、「地下宮殿」への案内板です
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6-2 明の十三陵(定陵)にて、「地下宮殿」へ降りていくところです
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6-3 明の十三陵(定陵)にて、「地下宮殿」が見えてきたところです。
地下宮殿は深さ27mのところにあります |
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6-4 明の十三陵(定陵)にて、「地下宮殿平面図」です |
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6-5 地下宮殿、「中殿」にて
地下宮殿は深さ27m、面積1195㎡で綺麗なアーチが型の大空間で、発掘は1957年より始まったとのことです。 |
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6-6a 地下宮殿にて、「左配殿」の説明板です |
6-6b 明の十三陵(定陵)、「地下宮殿」にて |
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6-7a 地下宮殿 中殿にて、「棺床」です |
6-7b 地下宮殿 中殿にて、「棺床」を望む。投げ込まれたお札の山が見えます |
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【 後 記 】 |
世界文化遺産「明の十三陵」で一般公開されている陵墓は「長陵」、「昭陵」、「定陵」の三ヶ所です。その中で、唯一発掘調査の行われている「定陵」を見学することが出来ました。
明の十三陵は広大な土地に陵墓が分散されており、その一つが「定陵」です。現地の定陵観光地図を見た時、陵墓の形が、日本の前方後円墳(仁徳天皇陵等)の形に似ていると思いました。前方後円墳は3世紀後半から7世紀初頭に造営されていますが、定陵は16世紀に造営されていますのでどういう関係があるのかとても興味を持ちました。
また、地下宮殿は深く広く宮殿と名がつくくらい巨大でした。時代こそ違いはありますが、エジプトの王家の谷を思い起こされます。このようなものがこの地にはまだ沢山あるのかと思えば、やはり中国のスケールの大きさをには驚かされます。
(2025.05.25)
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6-8 地下宮殿 后殿(後殿)にて、棺と副葬品を入れた箱です。大きのは棺です。複製とのことです |
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6-9 地下宮殿 后殿(後殿)にて、棺・副葬品などが安置されています。
写真の奥の大きいのが神宗皇帝と孝端、孝靖という二人の后妃の棺です。 手前の小さいのが副葬品を入れた24個の箱です。全てレプリカとのことです。 |
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6-10 地下宮殿にて、棺のアップです |
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6-11a 地下宮殿、「中殿」を望む |
6-11b 地下宮殿 中殿にて、「万暦帝の宝座」を望む |
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6-12 地下宮殿にて、「万暦帝の宝座」を望む。
万暦帝の宝座は漢白玉製で背もたれの柄が龍です。
手前の巨大な器は長明灯です。灯明用の油入っていて、「宝座と永遠に灯る」とのことです |
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6-13 地下宮殿にて、「孝端皇后の宝座」を望む。皇后の背もたれは鳥の柄とのことです |
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6-14 地下宮殿にて、「孝端皇后の宝座」です |
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6-15a 地下宮殿の出口を望む |
6-15b 地下宮殿の出口の階段にて |
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6-16a 地下宮殿の出口にて、天井部の装飾です |
6-16b 地下宮殿の出口にて、天井部の装飾です |
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6-17 地下宮殿からの出口です |
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6-18 明の十三陵(定陵)にて、「地下宮殿」出口です |
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6-19 明の十三陵(定陵)にて、「地下宮殿」出口から「明桜」を望む |
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No.7 |
7.明の十三両稜 定陵 「明桜から定陵門」へ |
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7-1 明の十三陵(定陵)にて、「明桜」を望む |
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7-2 明の十三陵(定陵)にて、「明桜」にて |
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7-3 「明桜」にて、明楼の中に置かれている「心柱」です。
心柱には「神宗顕皇帝之陵」と書かれています |
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7-4 明の十三陵(定陵)「明桜」にて、「心柱」を望む |
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7-5 明の十三陵(定陵)にて、「明桜」からの眺めです |
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7-6 明の十三陵(定陵)にて、「明桜」を望む |
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7-7 明の十三陵(定陵)にて、「明桜」を望む |
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7-8 明の十三陵(定陵)、稜恩殿跡より「重門」方面を望む |
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7-9 明の十三陵(定陵)、稜恩殿跡より「稜恩門跡・重門」を望む |
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7-10 明の十三陵(定陵)、「稜恩門跡」より「重門」を望む |
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7-11 明の十三陵(定陵)、「重門」を望む |
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7-12 明の十三陵(定陵)、「重門」を望む |
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7-13 明の十三陵(定陵)、「重門」にて |
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7-14 明の十三陵(定陵)、駐車場にて |
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