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日本の城に登る・歩く
     ( 沖縄の城 )
  
  
    
[画像]  日本100名城  沖縄の城 今帰仁城に登城する(No.98)
  
今帰仁城を望む  
  
  
  
 
  


 1.沖縄県最大級の城、今帰仁(なきじん)城 (98)” に登城する
 
 今帰仁城
 (なきじんじょう)
 日本百名城 No.98
 世界文化遺産登録
 沖縄県国頭郡今帰仁村
 (撮影 2015.12.12)
 今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡です。14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城でありました。国の史跡に指定されています。

 城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせています。北山は尚巴志に1416年(応永23年・永楽14年。1422年(応永29年・永楽20年)説もある)に滅ぼされますが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣されていました。1609年の薩摩藩による琉球侵略の際には、その攻撃の第一目標となりました。
   (ウィキペディアより)   
(Size : 3,760KB)   今帰仁城、城内より”城壁”を望む 今帰仁城、”城壁”を望む
 


 
 2.今帰仁(なきじん)城 に登城する
 
 【今帰仁城跡について】
 今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。

 今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。

 攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。    
(今帰仁城氏HPより)

 
■ 今帰仁城跡への入口です。周りには多くの駐車場が整備されていました。後方は今帰仁村文化センターです ■
真今帰仁城、外郭を望む
今帰仁城、世界遺産登録碑(左側)を望む。正面奥は、平郎門(へいろうもん)になります
 



 3.今帰仁(なきじん)城 ”平郎門(へいろうもん)”より入城する
 
■ 今帰仁城跡の城壁を望む。右側に平郎門があります ■

「平郎門(へいろうもん)について!」   − 銘文より引用−

 【銘文より引用】

平郎門の名称は、1713年に編集された「琉球国由来記」に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」と記載され登場します。1742年に描かれた「今帰仁旧城図」の史料にはこの場所が「本門」として記されています。2つの史料から、今帰仁城の重要な門がこの門で、平郎門と呼ばれていたことが分かります。

しかし、城としての機能を終え300年以上経った1900年代初め頃には、既に門は大きく崩落していたことが分かっています。1961年12月から翌年4月頃に現在の門の形に修理が行われました。



今帰仁城、外郭より、曲線的な城壁を望む
平郎門(へいろうもん)より、城内を望む
平郎門を入ると石畳道と階段が続きます。この石畳は1960年代に整備されたものとのことです。右手に旧登城道が有ります



 4.今帰仁(なきじん)城 ”御内原”にて
 
■ 今帰仁城、大隅を望む。「城兵達の武闘訓練の場」であったと想定されています(御内原からの眺望です) ■
■ 今帰仁城、大庭を望む ■
今帰仁城、大庭近くの城壁に咲いていました

「御内原について」   − 今帰仁城HPより−

 御内原は、かつて「女官部屋」があったといわれているところです。城内でも崇高な場所とされ男子禁制の御嶽テンチジアマチジがあります。北端からの眺望は城内で最もよいところで、大隅一帯の石垣をはじめ今帰仁村全域、伊平屋・伊是名の島々、国頭の山並麓、晴れた日には遠く与論島が眺められ、海を眼下に見ることができます。



今帰仁城、御内原より城下及び大隅を望む。正面の建屋が入場券売り場です
 



 
 5.今帰仁(なきじん)城 ”主郭(本丸)” にて

  【今帰仁城の主郭について】

 今帰仁城の主郭は、大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石もありますが、かつての建物の形がいくらか想像できます。1982年から4年間発掘調査が行われました。発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め頃まで機能していたことがわかりました。監守引き上げ以降は、火之神の祠が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場所として利用されています。発掘調査が完了し、現在のように整備されました。          (今帰仁城HPより)

 
■ 主郭より、志慶真門郭(シジマジョウ)を望む ■
今帰仁城主郭(本丸)です
  
山北今帰仁城監守来歴碑記(県指定文化財)
主郭より、志慶真門郭(シジマジョウ)志慶真門郭(シジマジョウ)への道です
  
平郎門、城内からの写真です 志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑です
◆カーソルセットで歌碑が拡大します
大庭の隅にありますカラウカーです 主郭の発掘調査の案内板です。”版築”の説明です
<志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑>

        今帰仁の城 しもなりの九年母
        志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい

大意:今帰仁グスクの南にある志慶真ムラという集落に「乙樽」という美女がいました。黒髪が美しい乙女のうわさは国中に広がり「今帰仁御神」と呼ばれ時の山北王も側室として仕えさせました。何不自由なく暮らす幸福な毎日を過ごしましたが、高齢の王には長い間後継ぎが無く、王妃も乙樽も世継ぎを授かることばかりを祈っていました。やがて王妃が子を授かり、そのことを季節はずれの蜜柑が実ったことに例え、子供のはしゃぐ声に満ちた平和な様子を謡っています。        (沖縄観光チャンネルHPより)



 6.今帰仁(なきじん)城 ”志慶真門郭(シジマジョウ)” にて
 
■ 志慶真門郭(シジマジョウ)からの風景。左の城壁「の上に主郭があります ■
 主郭(本丸)より、志慶真門郭(シジマジョウ)を望む
 志慶真門郭(シジマジョウ)全景

  <志慶真門郭(シジマジョウ)について>

 志慶真門郭は、上名で最も東に位置する郭です。

志慶真門郭の発掘調査が昭和55年から57年に実施されました。発掘の結果、志慶真門郭と大庭(ウミャー)との通路石敷きが確認されています。郭内の当初の地形はゆるやかな傾斜地で。宅地の造成工事により段差を設け、建物の健立がなされています。

建物は約6m×6m或いは4m×5m程度の規模で中に炉跡があります。瓦が出土しないことから茅か板葺の掘り立柱建物であったと考えられています。また、建物間を結ぶ石敷道や石段なども検出されました。それらの遺構は修景整備がなされています。




  7.”今帰仁(なきじん)城” 案内
 
【 今帰仁城の歴史 】
 今帰仁城の歴史は古く13世紀までさかのぼります。正確にいつごろに誰によって築かれたかは、現時点では不明となっています。今後発掘調査が進むにつれ解明されるでしょう。

(三山時代)
 14世紀の中国の史書に琉球国山北王「はにじ(はにじ)」「みん(みん)」「はんあんち(はんあんち)」の三王が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山県立の時代」でした。北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。

(監守時代)
 北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置。1422年以後監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上しました。監守が住まなくなって以後は御嶽とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れました。

(監守時代以降)
 監守が首里に引き上げたとされる1665年以後の今帰仁村は精神の拠り所として崇拝されてきました。現在でも今帰仁城跡には火神の祠があり、その時代を垣間見る事ができます。
          
(今帰仁城HPより)


 
今帰仁城のMapです (今帰仁城HPよりコピーしました)
今帰仁城の石垣。積み上げの石垣です
今帰仁城の石垣です
  
旧登城道より、平郎門を望む。最高部付近が平郎門です
今帰仁城、扇形の城壁の前にはセルフタイマー撮影用に三脚が設置されていました。良いアイデアと思いました。利用させてもらいました。
  
  
今帰仁城跡、入口の案内石です 駐車場近くにあります、入場券売場です 今帰仁城、御内原にて 今帰仁城、城内(平郎門手前)にあるお店です
  
  
  
 
 
( 後   記 )
 今帰仁城の曲線の城壁は写真などで何度も見ていました。本土の城では見られない独特の美しさを持った城壁です。城の規模も思っていたよりはるかに大きくビックリさせられました。

 城跡からな眺める沖縄の海と青空、そして石垣の美しさはこの城でないと味わえない美しさだと思いました。   
(2016/1/31)
 
 
今帰仁城、平郎門より城内を望む
 
今帰仁城、志慶真門郭(シジマジョウより、主郭の城壁を望む
 
今帰仁城、見事な曲線美の城壁を望む
 

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