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( 富士山-信仰の対象と芸術の源泉 )
  
第1集  世界文化遺産 浅間神社 「(構成資産4)村山浅間神社」に参拝する
  

村山浅間神社、「一の鳥居」を望む 
  
  


 < 世界遺産:浅間神社 * >   2富士山本宮浅間大社(富士宮市)  3山宮浅間神社(富士宮市)  4村山浅間神社(富士宮市)  5須山浅間神社(裾野市)  6冨士浅間神社(須走浅間神社)(駿東郡)  7河口浅間神社(富士河口湖町)  8冨士御室浅間神社(富士河口湖町)



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 No01


世界文化遺産登録 『 富士山-信仰の対象と芸術の源泉 』

( 世界文化遺産  2013年  月登録 )



 富士山‐信仰の対象と芸術の源泉(ふじさん - しんこうのたいしょうとげんじゅつのげんせん)は、
 ・荘厳な富士山は、古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し、多様な信仰の対象として崇拝されてきたこと
 ・富士山の図像は、古来から詩、散文などの芸術作品にとって創造的感性の源泉であり続け、葛飾北斎、歌川広重により浮世絵に描かれた富士山の姿は西洋の芸術の発展に影響をもたらしたことが評価され、2013年、文化遺産に登録されました。

構成資産は25資産(一部表示)  ※構成資産一表示へ
     :
  2 富士山本宮浅間大社 (ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
  3 山宮浅間神社 (やまみやせんげんじんじゃ)
 ●4 村山浅間神社 (むらやませんげんじんじゃ)
  5 須山浅間神社 (すやませんげんじんじゃ)
  6 冨士浅間神社(須走浅間神社)(ふじせんげんじんじゃ(すばしりせんげんじんじゃ))
  7 河口浅間神社 (かわぐちあさまじんじゃ)
  8 冨士御室浅間神社 (ふじおむろせんげんじんじゃ)
               
(日本の世界遺産 HPより)

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< 内 容 >

1.世界文化遺産 静岡県富士宮市「(4)村山浅間神社」に参拝する    
2.村山浅間神社 「正面鳥居(一の鳥居)」にて             
3.村山浅間神社 「拝殿」にて                       
4.村山浅間神社境内 「護摩壇・水垢離場」にて             
5.村山浅間神社境内 「大スギ・イチョウ」にて             
6.冨士山興法寺「大日堂」にて                    
7.高根總鎮守「氏神社」にて                     
8.「村山浅間神社」にて                       
9.「村山浅間神社」付近の写真(GoogleMapより)          


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  1.世界文化遺産 静岡県富士宮市 「(構成資産4)村山浅間神社」に参拝する
 村山浅間神社
 (むらやませんげんじんじゃ)
 世界文化遺産
 「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」
 として2013年6月登録
 (構成資産4) 

 静岡県 富士宮市村山
 (撮影 2015.04.11)
 (作成 2023.09.03)

 村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は、静岡県富士宮市村山にある神社です。旧社格は県社で号は富士根本宮となっています。全国にある浅間神社の一社で「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されています。

 平安時代末、僧末代が富士山を山岳修行の場として選び、富士修験の元を開いた。鎌倉時代には、僧頼尊が村山で富士行を創始したといわれ、村山の地に富士修験が定着しました。
 村山浅間神社は、富士修験の道場として大日堂(興法寺)を中心に発展してきました。
 室町時代以降、周辺にいくつもの坊が作られ、村山口富士登山の基地として、山伏を先達とした多くの富士道者を集めてきた。また、登山期間が終わると、山伏が各地を回って火伏せや虫封じ、安産などの祈祷をしたり、お札を配ったりしていた。
 明治維新の廃仏毀釈や、登山道の付け替えで村山浅間神社は衰微してしまいましたが、今も大日堂と浅間神社をあわせて祭る神仏習合の姿をとどめています。
             
(ウィキペディアより)
(Size : 74,764KB) 村山浅間神社、「一の鳥居」にて 村山浅間神社、二の鳥居より「拝殿」を望む
google地図より(■カーソルセットでMap表示)
クリックでGoogle Mapが表示されます





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 2.村山浅間神社 「正面鳥居(一の鳥居)」にて  




村山浅間神社、「一の鳥居」を望む



村山浅間神社、「二の鳥居」を望む
< 富士山頂の信仰遺跡群について >  ー富士の国やまなしHPよりー 
 山頂部の富士山信仰に関連する一群の場所・施設は、12世紀の修行僧の末代上人により建立されたものを起源とするとされています。
その後、山頂部では経典・懸仏・仏像等の埋納・奉納が行われたほか、火口部に当たる「内院」への散銭も行われました。
また、遅くとも17世紀には、大宮・村山口登山道の山頂部に大日堂(現在は富士山本宮浅間大社の奥宮が所在する。)が、吉田口・須走口登山道の山頂部に薬師堂(現在の久須志神社)が、それぞれ造営されました。

 1868年に明治政府が発した神仏分離令に基づき、1874年に山頂の仏教的施設及び仏像が撤去されました。また、仏の名に因んで命名された山頂の各頂部の名称も変更され、大日堂などの寺院は神社へと改変されました。しかし、山頂部に対する人々の信仰自体が変化することはありませんでした。

 現在も、山頂の随所に石碑・仏像等が残されており、神聖な領域と見なされた各頂部及び内院を望む拝所(村山大宮拝所、須山拝所、吉田須走拝所)には、それぞれ鳥居が建立されています。特に、山頂において「御来迎(ご来光)」を拝むことをはじめ、「お鉢めぐり」と称して山頂の火口壁の頂部を巡ることは、現代の多くの登山者も行っており、これらの行為を通じて富士山信仰の核心が現代に確実に継承されています。

             
(富士の国やまなしHPより) 
 





富士根本宮「村山浅間神社」にて

富士根本宮「村山浅間神社」の鳥居です



村山浅間神社、「手水舎」にて



村山浅間神社、「世界文化遺産登録」碑です



村山浅間神社、「世界文化遺産登録」碑のアップです
 





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  3.村山浅間神社 「拝殿」にて



村山浅間神社、「二の鳥居」と「拝殿」を望む



村山浅間神社、二の鳥居より「拝殿」を望む



村山浅間神社、「拝殿」を望む



村山浅間神社、「本殿」を望む



村山浅間神社、「拝殿」(左手前)と「幣殿」(右奥)を望む
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  4.村山浅間神社 境内「護摩壇・水垢離場」にて



興法寺(廃寺)の護摩壇(ごまだん)を望む。護摩壇は一辺5.3mの四囲の石組の中に、丸い石組となっています



「護摩壇」の現地説明板です



不動明王石像を望む。護摩壇(ごまだん)正面奥に祀られています



護摩壇(ごまだん)近くにありました



「水垢離場」を望む。山伏修行(修験者)や富士登拝の道者(どうしゃ)が垢離をとって身を浄めた所です



「水垢離場」にて、水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる「不動明王の石像」が安置されています
   
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  5.村山浅間神社境内 「大スギ・イチョウ」にて



静岡県指定天然記念物「村山浅間神社の大スギ」を望む



村山浅間神社の大スギの根元です。推定樹齢1000年とのことです

村山浅間神社の大スギの現地説明板です



「村山浅間神社の大スギ」を望む。樹齢:推定1000年、樹高47mです



「村山浅間神社のイチョウ」を望む。幹の太さ(目通り)9.2m、樹高は16mです。後方は「(冨士山興法寺)大日堂」です



村山浅間神社のイチョウには「乳」と呼ばれる大きな気根(乳状下水垂)が発達しています。径37cm、長さ2mに達しているとのことです



村山浅間神社のイチョウ、現地説明板です



「村山浅間神社のイチョウ」を望む。幹の太さ(目通り)9.2m、樹高16mです
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  6.冨士山興法寺「大日堂」にて



興法寺(廃寺)の「大日堂」を望む。2013年(平成25年8月)に『大日堂』から『冨士山興法寺大日堂』に名称が変更されています



冨士山興法寺大日堂は保存修理工事(2013年12月~2015年3月)により再建されました



冨士山興法寺大日堂は保存修理工事の跡が伺えます



冨士山興法寺大日堂前より、イチョウを望む
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  7.高根總鎮守「氏神社」にて



高根總鎮守「氏神社」の参道です



参道より、高根總鎮守「氏神社」を望む



高根總鎮守「氏神社」を望む。◆クリックでGoogleMap ストリートビューが表示されます

高根總鎮守「氏神社」、現地説明板です

「氏神社」の参道の杉の木です



高根總鎮守「氏神社」参道の見事な杉の木です
     【 後  記 】
 村山浅間神社については、世界遺産に登録された構成資産の一つとして、歴史的な背景など知らぬまま参拝に訪れました。拝殿での参拝を含め、物凄く違和感を感じた神社でした。こじんまりとした拝殿・幣殿・本殿、そして境内には護摩壇、水垢離場、大日堂と修験道跡、高嶺総鎮守があり、神社といいながら複雑な形をしていると思いました。

 村山は、富士山における修験道の中心地で、興法寺を中心とし、修験者や門前百姓の住む修験集落でした。村山修験の開祖、末代上人は富士山山頂に「大日堂」を建て自らを大棟梁権現と号し、発展してきました。
 明治に入り廃仏毀釈運動により興法寺の中心的堂社であった浅間神社と大日堂に分離させ廃寺としました。そして富士山山頂の「大日堂」は富士山本宮浅間大社に売却され富士山本宮浅間大社の「奥宮」となりました。その後、明治5年修験宗廃止令、明治39年(1906)に登山新道の開削により、富士山登山道から外されました。
 また、村山修験の開祖、大棟梁権現を祀る大棟梁権現社は廃され場所を変え高嶺総鎮守と名称を変え地元の氏神して祀られています。

 こうした一連の動きを見てみると、明治政府は日本一の富士山を抱える村山修験に関する信仰を弱体させるために動いていたのかなと思ってしまいました。こういうことがたぶん村山浅間神社に違和感を感じたことだと思いました。
   
(2023.09.03)



「氏神社」の参道から鳥居・イチョウを望む



「氏神社」の鳥居よりイチョウを望む
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  8.村山浅間神社にて



村山浅間神社にて



村山浅間神社にて



村山浅間神社イチョウを望む。右側が冨士山興法寺「大日堂」です




村山浅間神社前にて





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  9.富士山-「信仰の対象と芸術の源泉」の一覧及び「村山浅間神社」付近の写真(GoogleMapより)
     (富士山-「信仰の対象と芸術の源泉」の一覧)


世界文化遺産登録 『 富士山-信仰の対象と芸術の源泉 』

( 世界文化遺産  2013年  月登録 )


 富士山‐信仰の対象と芸術の源泉(ふじさん - しんこうのたいしょうとげんじゅつのげんせん)は、
 ・荘厳な富士山は、古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し、多様な信仰の対象として崇拝されてきたこと
 ・富士山の図像は、古来から詩、散文などの芸術作品にとって創造的感性の源泉であり続け、葛飾北斎、歌川広重により浮世絵に描かれた富士山の姿は西洋の芸術の発展に影響をもたらしたことが評価され、2013年、文化遺産に登録されました。

構成資産は次の25資産
  1 富士山域 (ふじさんいき)
    1-1 山頂の信仰遺跡群 (さんちょうのしんこういせきぐん)
    1-2 大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)(おおみや・むらやまぐちとざんどう
(げんふじのみやぐちとざんどう)
    1-3 須山口登山道(現御殿場口登山道)(すやまぐちとざんどう
(げんごてんばぐちとざんどう)
    1-4 須走口登山道 (すばしりぐちとざんどう)
    1-5 吉田口登山道 (よしだぐちとざんどう)
    1-6 北口本宮冨士浅間神社 (きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)
    1-7 西湖 (さいこ)
    1-8 精進湖 (しょうじこ)
    1-9 本栖湖 (もとすこ)
 ●2 富士山本宮浅間大社 (ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
 ●3 山宮浅間神社 (やまみやせんげんじんじゃ)
 ●4 村山浅間神社 (むらやませんげんじんじゃ)
 ●5 須山浅間神社 (すやませんげんじんじゃ)
 ●6 冨士浅間神社(須走浅間神社)(ふじせんげんじんじゃ
(すばしりせんげんじんじゃ)
 ●7 河口浅間神社 (かわぐちあさまじんじゃ)
 ●8 冨士御室浅間神社 (ふじおむろせんげんじんじゃ)
  9 御師住宅(旧外川家住宅) (おしじゅうたく
(きゅうとがわけじゅうたく)
  10 御師住宅(小佐野家住宅) (おしじゅうたく
(おさのけじゅうたく)
  11 山中湖 (やまなかこ)
  12 河口湖 (かわぐちこ)
  13 忍野八海(出口池)(おしのはっかい(でぐちいけ))
  14 忍野八海(お釜池)(おしのはっかい(おかまいけ))
  15 忍野八海(底抜池)(おしのはっかい(そこなしいけ))
  16 忍野八海(銚子池)(おしのはっかい(ちょうしいけ))
  17 忍野八海(湧池) (おしのはっかい(わくいけ))
  18 忍野八海(濁池) (おしのはっかい(にごりいけ))
  19 忍野八海(鏡池) (おしのはっかい(かがみいけ))
  20 忍野八海(菖蒲池)(おしのはっかい(しょうぶいけ))
  21 船津胎内樹型 (ふなつたいないじゅけい)
  22 吉田胎内樹型 (よしだたいないじゅけい)
  23 人穴富士講遺跡 (ひとあなふじこういせき)
  24 白糸ノ滝 (しらいとのたき)
  25 三保松原 (みほのまつばら)


 登録地域の面積は、構成資産 20,638ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 49,376ヘクタール。

<霊峰富士として多様な信仰の対象して崇拝されてきた富士山>
 富士山は、その圧倒的な存在感から畏敬の念をおこさせ、霊峰富士として古来から多様な信仰の対象として崇拝されてきました。平安時代初期には富士山の噴火を鎮めるため浅間神社が建てられ、平安時代後期には修験道の道場になりました。室町時代には登山道が開かれ登拝する山として庶民に親しまれ、江戸時代には信徒組織・富士講が組織されるようになりました。現在でも多くの登山者が訪れています。

<芸術の源泉となり西洋の芸術作品にも影響を与えた富士山>
 富士山は芸術の源泉となり万葉集や日本最古の物語とされる竹取物語をはじめ数多くの和歌・物語など文学の題材になりました。 室町時代には富士山を題材とした絵画作品が多数描かれ、江戸時代には文学、絵画、工芸、庭園等のモチーフとして多岐にわたって取り上げられています。
特に葛飾北斎、歌川広重により描かれた浮世絵は、西洋の芸術家の作品にも影響を与え、富士山の荘厳な形姿を世界に知らしめています。

   田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける   山辺赤人 (万葉集)

<富士山の姿は特に美しい>
 富士山のような姿をした成層火山で世界遺産に登録されているのは、カムチャッカ火山群(ロシア)、トンガリロ国立公園(ニュージーランド)、エオーリエ諸島(イタリア)などがあります。古富士火山と新富士火山の2世代にわたる噴火活動によって形づくられた円錐型のなだらかな富士山の姿は特に美しいといわれています。       (日本の世界遺産 HPより)

  (静岡県富士河口湖町「富士御室浅間神社」付近の写真(GoogleMapより))

GoogleMapより、富士山元宮「村上浅間神社」付近の写真です。◆クリックでGoogleMapが表示されます





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