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( 続 日 本 100名 城 : 関 東 地 方 )  
 
  
  
 
第1集  千葉県佐倉市・印旛郡 「本佐倉城 (続日本100名城121番目)」 に登城する
  

本佐倉城、「東山虎口」・「ビューポイント」を望む 
  
  
  
 
 

< 続日本100名城(関東地方) >  112笠間城(茨木県笠間市)L*  113土浦城址(茨木県土浦市)   121本佐倉城(千葉県佐倉市・印旛郡)LM   122大多喜城(千葉県大多喜町)    ( 亥鼻城址(桜)(千葉県千葉市)L )    


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< 内 容 >

1.千葉氏一族の城「本佐倉城」に登城する                
2.千葉県 佐倉市・印旛郡酒々井町「本佐倉城」にて
           
3.本佐倉城 「東山虎口・東山(ビューポイント)」にて         
4.本佐倉城 「Ⅳ郭・倉跡(Ⅲ郭)」にて                
5.本佐倉城 「城山(Ⅰ郭)」に進む                  
6.本佐倉城 「奥ノ山(Ⅱ郭:妙見郭)」にて              
7.本佐倉城 「セッテイ山(Ⅶ郭)~東光寺ビョウ(Ⅵ郭)~東山虎口」にて
8.本佐倉城 「案内所」にて                      
 お気に入り写真                          


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 1.千葉氏一族の城「本佐倉城」に登城する
 本佐倉城
 (もとさくらじょう)
 国指定史跡
 続日本100名城121番目
 千葉県 佐倉市本佐倉
     印旛郡酒々井町本佐倉 
 (撮影 2023.02.16)
 (作成 2023.02.23)

 本佐倉城(もとさくらじょう)は、千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる将門山に築かれた城です。千葉氏後期の本拠地となった日本の城です。
 千葉輔胤(ちばすけたね)が文明年間(1469年-1486年)に築城しました。1590年(天正 18 年)に豊臣秀吉によって千葉氏が滅ぼされるまで当主九代が居城しました。下総の首府として栄えた城の規模は東西約 700m、南北約 800m、約 35ha にもなっていました。現在でも郭や馬場、虎口、空堀、土塁、櫓台などが良好に保存されています。

 1998年(平成 10 年)9月 11 日に関東地方を代表する戦国時代の城跡として国指定史跡に指定されています。また2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(121番)に選定されています。 
       
(ウィキペディア、千葉県HPより)

(Size : 89,740KB) 本佐倉城、「城山」を望む 本佐倉城、「Ⅳ郭(矢立(模擬))」を望む
  





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 2.千葉県 佐倉市・印旛郡酒々井町「本佐倉城」にて



本佐倉城、「城山」を望む


本佐倉城の「散策マップ」です。非常に分かり易いパンフレットです 「散策マップ」です。ガイドさんからアドバイスをもらい、これに従い散策しました
< 本佐倉城について > 
 本佐倉城は下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城し、天正十八年(1590)に豊臣秀吉に滅ぼされるまで関東有数の大名千葉氏の居城でした。
 千葉氏は享徳三年(1454)に始まる関東の戦乱によって千葉(現千葉市中央区)の亥鼻城を捨て、新たな城を印旛沼に面した交通の拠点である「佐倉(現酒々井町本佐倉)」に移しました。
 16世紀前半には城下町も整い、本佐倉城は下総の政治・経済・軍事・文化の中心として繁栄します。
 天正十八年(1590)年、豊臣秀吉が小田原を攻めると、北条氏の支配下に入っていた千葉氏も共に滅亡、本佐倉城は徳川家康の支配となりました。
 現在でも本佐倉城跡は大規模な空堀・土塁・櫓台に守られた郭群などが明瞭に残っており、戦国時代の息吹が感じられます。
 平成10年9月には重要な文化財として国指定史跡となり、その保存整備が進められています。 
        
(酒々井町教育委員会 生涯学習課 HPより)

「本佐倉城のマスコットキャラクター「勝つタネ!くん」です。
(本佐倉城跡城下町立て530年記念)
 関東の名族千葉氏の最後の居城「国史跡 本佐倉城跡」冊からのコピーです



史跡「本佐倉城跡」入口にて
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます

本佐倉城を望む。左の山は城山、右は東山です 本佐倉城の駐車場です。左側に案内所があります 本佐倉城の幟(のぼり)です 東山馬場にて、国指定史跡「本佐倉城跡碑」です
google地図より(■カーソルセットで写真表示)
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本佐倉城にて、左側が本佐倉城「案内所」・正面奥が城山(Ⅰ郭)です



本佐倉城「東山馬場」にて、国指定史跡「本佐倉城跡碑」を望む



googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
■ 画像クリックでgoogle Mapが表示します ■



東山馬場にあります、「本佐倉城マップと説明板」です



本佐倉城、散策道入口にて。後方には「矢板(模擬)」が設置されています
 





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  3.本佐倉城 「東山虎口・東山(ビューポイント)」にて



本佐倉城、「東山虎口」を望む




本佐倉城、両側の切り立った「東山虎口」にて



東山虎口にあります現地説明板です。門跡の説明があります



本佐倉城、「東山ビューポイント」への登り口です



本佐倉城、東山のビューポイントを望む



本佐倉城、東山ビューポイントからの眺望です。昔は湿原地帯がひろがり自然の防御となっていたとのことです。
現在は、広い田んぼの中を「京成電車」が走っています。
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ビューポイントから「筑波山」が望めます



ビューポイントからは日光の山々が望めます。左より、日光白根山・男体山・女峰山が望めます



本佐倉城、東山の先端です。この先、崖となり、道は途切れていました



本佐倉城、「東山の空堀」です



本佐倉城、ビューポイントより「東光寺ビョウ」、「南奥虎口」方面を望む



本佐倉城、ビューポイントより「東山馬場」を望む。奥の建物は案内所です
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  4.本佐倉城 「Ⅳ郭・倉跡(Ⅲ郭)」にて



本佐倉城、「矢盾(模擬)とⅣ郭」を望む



「矢盾(模擬)」を望む。城の雰囲気をかもし出しています



本佐倉城、「Ⅳ郭虎口」へと進む



本佐倉城、「Ⅳ郭虎口」にて



本佐倉城、「Ⅳ郭虎口」の現地説明板です



本佐倉城、広い「倉跡」を望む。倉跡は上段・中断・下段の3段になっているのが見えます。



本佐倉城、「Ⅳ郭」にて。正面の木は梅の木です



本佐倉城、「Ⅳ郭」にて、左側に「矢盾(模擬)」が見えます。後方は「城山」になります
   





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  5.本佐倉城 「城山(Ⅰ郭)」に進む
( 城山通路にて )


本佐倉城、「大堀切」を望む。左側は「城山」、右側は「奥ノ山」です






本佐倉城、「城山通路」を望む。下はの「城山通路」の現地説明板です



本佐倉城、「城山虎口」を望む







本佐倉城、「城山門跡」を望む。下は「城山門跡」の現地説明板です
( 城山郭にて )



城山郭を「門跡」からの眺めた風景です



本佐倉城、広い「城山郭」を望む。手前に「主殿」跡の看板が見えます



城山郭、奥ノ山側の「土塁」です



城山郭、「主殿」跡を望む



城山郭、「会所」跡を望む



本佐倉城、「城山郭」のイメージ画像です。城山郭の全体イメージがわいてきます
画像は、案内所で放映している、本佐倉城紹介ビデの画像の一コマです





本佐倉城、城山郭の土塁です。左側の下に案内所が見えます



本佐倉城、「城山郭」からの眺望です。京成酒々井駅方面を望む。手前の建物は案内所です



城山郭、奥側の「倉庫・合所」跡から「主殿」跡方面の眺めです
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  6.本佐倉城 「奥ノ山(Ⅱ郭:妙見郭)」にて



本佐倉城、「城山通路」にて、右側に進むとⅣ郭へ、左側に進むと「奥ノ山(Ⅱ郭)」に出ます。左側に進みます



本佐倉城、「奥ノ山」を望む



本佐倉城、「奥ノ山」を望む。正面奥は「妙見宮跡」です



奥ノ山、「妙見宮跡」碑を望む。ここには14m四方の妙見宮の基壇があったとのことです。
妙見宮の妙見様は、千葉氏の守護神です 



奥ノ山には、「房総の魅力500選」のパネルがあります。
本佐倉城は歴史(史跡・碑)の分類で64番目の登録です



「妙見宮跡」碑より、奥ノ山の「入口」を望む



広い「奥ノ山」を望む。手前は、「房総の魅力500選」の碑、左側は「妙見宮跡」碑です




「奥ノ山」入口にて、入口には「奥ノ山」碑があります
 





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  7.本佐倉城 「セッテイ山(Ⅶ郭)~東光寺ビョウ(Ⅵ郭)~東山虎口」にて



本佐倉城、奥ノ山と倉跡からの「妙見神社」への降り口です





本佐倉城、「妙見神社」への急斜面の道にて

本佐倉城、民家より「奥ノ山」を望む





本佐倉城、「セッテイ山」へ進む道にて。左側は中池跡になります
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます


本佐倉城、「セッテイ山」歩道にて



本佐倉城セッテイ山にて、「セッテイ空堀」を望む。ここの空堀の高低差は16mとのことです



本佐倉城セッテイ山にて、「セッテイ虎口」を望む



本佐倉城、「セッテイ山」碑を望む。セッテイ山方面は倒木のため通行禁止になっていました



本佐倉城、「セッテイ山」碑を望む



セッテイ山にて、金明竹の生い茂る「セッテイ空堀」を望む。
セッテイと倉跡を分ける高低差10mの空堀です



金明竹の生い茂る「セッテイ空堀」を進むと残念ながら通行止めとなっていました。
散策道の一部は、倒木などの対応で整備中になっています



本佐倉城セッテイ山にて、山側より「南奥虎口」を望む



本佐倉城セッテイ山にて、東光寺ビョウ側より「南奥虎口」を望む
「セッテイ空堀」の現地説明板です 本佐倉城セッテイ山にて、「セッテイ空堀」を望む 「セッテイ虎口」の現地説明板です セッテイ山にて、「金明竹の小径」の現地説明板です
     【 後  記 】

 佐倉には佐倉城址、武家屋敷、国立歴史民俗博物館、草笛の丘と何度か訪れたことは有りましたが、本佐倉城跡へは、初めて訪れました。
 案内所にて、管理人(?)の山本さんより見どころ、散策順番など丁寧なアドバイスを受け、散策を行いました。散策道には目印にピンクのリボンをつけてあるとのこでした。整備中のセッテイ山では倒木などで通行止めの箇所もあり、これが道しるべとなり結構助かりました。

散策は次の道順で行いました。
 案内所[出発]⇒東山馬場⇒東山虎口
(P2)⇒東山ビューポイント⇒東山の先端⇒矢盾⇒Ⅳ郭虎口(P4)⇒Ⅳ郭⇒倉跡(下段(P11))⇒大堀切(P5)⇒城山通路(P6)⇒城山虎口(P7)⇒城山門跡(P8)⇒城山(P9)一周⇒城山通路(P6)⇒奥ノ山(P10)⇒民家・中池⇒セッテイ空堀(P16)⇒セッテイ虎口(P17)⇒セッテイ山碑⇒倉跡-セッテイ空堀(P19)⇒南奥虎口(P20)⇒東光寺ビョウ前(P1)⇒東山虎口(P2)⇒東山馬場⇒案内所[着]  (※Pxxは散策マップのポイント番号です)

 ゆっくりと寄り道しながらの散策で2時間チョットかかりました。セッテイ山の森林・竹林の中の山道歩きはハイキング気分でした。倒木等の遊歩道が整備されれば、今後の散策もより一層楽しくなると思いました。

 本佐倉城跡の遺構として郭や馬場、虎口、空堀、土塁、櫓台などが良好な状態で残されています。石積み、石垣など派手なものはありませんが、千葉氏一族9代、約100年間続いたこの城は天然の要害を利用し、自然を巧みに利用し、うまく考えられて造られた城と感心しました。

 次は季節を変え、日差しの差し込んだ金明竹の竹林の中の散策を楽しみたいと思いました。
               
(2023.02.23)





本佐倉城セッテイ山にて、「南奥虎口」側より「東光寺ビョウ」を望む



本佐倉城にて、左側「東山虎口」、中央「東光寺ビョウ」を望む。
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます




本佐倉城、東山虎口より「東光寺ビョウ」を望む






本佐倉城、「東山虎口」を望む。下は東山虎口の現地説明板です
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます




本佐倉城、「東山虎口」を望む



東山虎口より、「Ⅳ郭」方面を望む



本佐倉城、「案内所」を望む
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  8.本佐倉城 「案内所」にて



本佐倉城、「案内所」を望む。案内所ではとても親切なボランティアの方々が待機しいました



本佐倉城、案内所の内部の様子です。部屋一面に「本佐倉城とその城主千葉氏の歴史」の説明文となっています



「案内所」には、床一面に巨大な航空写真が展示されています。なかなか見ごたえがあります

本佐倉城「案内所」には、出土遺物が展示されています

「案内所」には、出土遺物が展示されています



本佐倉城「案内所」に展示されている「本佐倉城の全体模型」です。城の大きさ広さが良くわかります



「本佐倉城跡散策マップ」です。これを片手に城内の散策を行いました。
非常に良くできたパンフレットと思いました






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  お気に入り写真



本佐倉城、散策道入口にあります、本国指定史跡「本佐倉城跡碑」です



本佐倉城、正面に東光寺ビョウを望む。左側は東山虎口になります



本佐倉城、ビューポイントを望む。ビューポイントの下に設置されている「本佐倉城」の大きな看板です



「本佐倉城」の大きな看板のアップです



本佐倉城「案内所」に展示されている「本佐倉城の模型」です






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